騙す方が悪いのか・騙される方が悪いのか?



Sitemap | Profile | タグ一覧
最近の更新
ドライランのありがたみを改めて知る
2024/04/04
伊豆半島
2024/03/31
お出かけチェックリスト
2024/03/29
Ruby
2024/03/27
Kubernetes
2024/03/22
音楽データをDisplayAudioで聞く
2024/03/09
Redmine
2024/02/05
git
2024/02/02
経済
2024/01/08
どうする家康
2023/12/17
MX-Linux
2023/11/06
國體関連学-休学のご連絡
2023/08/13
Debian
2023/08/02
CentOS
2023/06/13
Dell-XPS13
2023/05/23
ベルト
2023/05/18
SourceForge
2023/04/17
確定申告
2023/02/19
さらば「まぐまぐ」
2023/01/09
風猷縄学
2022/11/23


「騙す方が悪いに決まってるでしょ!」 とキュアなんとかは言った。

2012年〜2013年のどこかの、4〜5人出てくるプリキュアだったろうか。

明快だった。

監督か脚本家が、単純な正義感を振りかざしたかっただけだろうか?

僕はそうは思わない。 そこには彼らのメッセージが込められていた、と思うのは深読みし過ぎだろうか?

絆の社会

それは信頼があってこそだ。

その信頼を崩す行為とは、即ち絆を断ち切る行為だ。

信頼をベースにしているからこそ、個々の力が発揮できる。

これは、アダムスミスやリカードの分業理論も証明しているところ。

「以和為貴」(和を以って貴しと為す)

有名な十七条の憲法だけれど、 この文言は、とても荘厳で力強い。

絆を断ち切る側と断ち切られた側、

どちらが悪いのか?

結果は明らかだ。

ただ、断ち切る者がいる前提で、 はじめて断ち切られないような自衛策も必要になってくる。

自衛は必要だ。ここから、護身・武道・自衛が発展していくことになる。

ただ、原点を誤ってはいけない。 護身力・武術・自衛のための武器…これらは攻撃にも転用可能だ。

しかし、それを行うと、絆を断ち切る側に堕してしまうことになるのだった。






Generated by juli 2.3.2