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「騙す方が悪いに決まってるでしょ!」 とキュアなんとかは言った。
2012年〜2013年のどこかの、4〜5人出てくるプリキュアだったろうか。
明快だった。
監督か脚本家が、単純な正義感を振りかざしたかっただけだろうか?
僕はそうは思わない。 そこには彼らのメッセージが込められていた、と思うのは深読みし過ぎだろうか?
絆の社会
それは信頼があってこそだ。
その信頼を崩す行為とは、即ち絆を断ち切る行為だ。
信頼をベースにしているからこそ、個々の力が発揮できる。
これは、アダムスミスやリカードの分業理論も証明しているところ。
「以和為貴」(和を以って貴しと為す)
有名な十七条の憲法だけれど、 この文言は、とても荘厳で力強い。
絆を断ち切る側と断ち切られた側、
どちらが悪いのか?
結果は明らかだ。
ただ、断ち切る者がいる前提で、 はじめて断ち切られないような自衛策も必要になってくる。
自衛は必要だ。ここから、護身・武道・自衛が発展していくことになる。
ただ、原点を誤ってはいけない。 護身力・武術・自衛のための武器…これらは攻撃にも転用可能だ。
しかし、それを行うと、絆を断ち切る側に堕してしまうことになるのだった。