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拝啓 中森様、
中森様のご活躍、時に受講という形で参加させて頂いたり 時にメルマガなどで情報をインプットして頂いたり、ありがとうございます。
この度、一旦國體関連のセミナーを休学させていただきたく、 ご連絡させて頂いた次第です。
以下、詳述いたします。
「國體関連のセミナー」とは、戦略思想研究所主催の落合史観・風猷縄学を指します。
休学の理由は端的には「予算足りず」なのですが、もう少し具体的には
年間自己投資予算を、自身がより今必要と感じるものに振り分けるため、 國體関連のセミナーへの予算を減らさざるを得ない。
ということです。従って、「では何故優先度を下げたのか」ということで、 その理由を今から長々とここに記す次第です。
本稿は中森様に宛てたメールのコピーなどではなく単なる小生の覚え書きですから、 そこはご容赦下さい。「ではなぜネットに公開するのか?」と言う問いがあるならば、
偶然にでも本サイトに辿り着いた人に少しでも参考に慣れば
とお答えしようと思います。
さて、本稿、歴史シロウトのバカの戯言と思っていただいてもよろしいのですが、 「ファンあってのプロ将棋」との藤井聡太氏の師匠の言葉を借りるならば、 歴史ファンあっての歴史学の発展、と言いたいところではあります。
ここで「ファン」とは、教えてくれくれ衆などではなく、 市井の研究者と捉えていただけると幸いです。 (中世ヨーロッパの大学の発展の原動力に、 学びたいものが基金を募って有識者を教授として 雇って大学を起こしたそうです。まさしくこれこそ戦略思想研究所と 同じと思いました。)
休学の理由は一言で言えば、敷居が高すぎた、と言うことなのですが、 「付いて来れないものは去ってよし」と思われるだけであれば遺憾なので、 少々補足したいと思います。
修験者・國體奉公衆の活動は決して表には出なくて当然、 とされるのであればそれは致し方ありません。
しかしながら、中森様のご尽力により、一端を垣間見せていただいたわけですので、 必ずしも接点がないことはない、と言う希望も見えました。
國體史観の完成とその公開 (せめて、志あるものの間での共有、希望を言えば日本国民・果ては世界人類との共有) を経れば、 誇りを持った日本の新時代も拓かれるのではないでしょうか?
どういうことか、詳述いたします。
今の日本は、国家・社会・共同体の崩壊はもとより、家族さえも お互い憎み殺し合う時代となってしまいました。
これもまた信頼できる核が失われたからにほかなりません。
この責任を各個人に押し付ける風潮が政体からもメディアからも聞こえてきますが、 小生、全てが個人の責任とは思っておりません。 人が社会的動物である以上、全ての人間活動はつながっています。 都合が良いときは社会的靭帯と言い都合が悪いときは自己責任、と言うのは 筋が通りません。
戦後ずっと・そしてここ数年も「あぁ、自分のエゴを押し通せばいいんだ」 と言う情報に溢れていました。税金は取られる一方で、その税金さえも公的な ことに使われることもなく(落合先生の言葉を借りるならば)永久収奪に向けられ、 「公」とは無縁のところに使われる有様。
これを TV で見せつけられれば、「あぁ、自分のエゴを押し通せばいいんだ」 と国民が思うのも必定。
ご高齢女性を20歳前後の若者が殴り殺す事件などの勃発も、要はそういうことだと 小生には思えてなりません。
ダイレクト出版のメルマガで西鋭夫氏が良いことを言われていました (あくまでとっかかりであり、西氏の発言で持って批判したいということでは 決してありませんので誤解されないで下さい):
守ることとは、愛することです。家族を守ることは家族愛です。 国を守ることは国を愛することと同じです。
自身に誇りを持ち、家族を愛し、社会共同体を愛し、国を愛す。
このどこかに無理があっては全体は成り立ちません。
旧政体が崩壊したのは、どこまでも自己犠牲を強いてきたから。今の小生流に 言わせていただくならば「家族・共同体・社会・国家・地球・宇宙の バランスが崩れたから」と考えます。
その根本が、「核」の消失です。誰のせいとは言いませんが、 今の日本はそうなっており、格差の拡大・不満の鬱積・現体制の無策…。
「競わず・争わず」と言う立場を小生も尊重しますが、 それは自立を前提としていると小生は考えます。
まだ独り立ちできてない小中高の子どもたちに「競わず・争わず」 と言っても機能しないのは、国防を持たないまま「平和」を唱えるの愚と同じです。 そして、その子どもたちの間ではびこるイジメを見て見ぬふりしている現体制の人たち…。 問題は山積みです。
ワンワールド國體は時に日本國體とは一時的に反する策を取られることもある、 とは中森様からの教示でしたが、それが数十年も続き家族を崩壊させるところまで 行ってははならない、とも小生は考えます。
そして、その危機は小生の見る限りずっとこの現実社会で起きています。
無策は明らかですが、どなたも良くしようとしていない。
家督継承とは、家族だけ良ければ良い、ということではないはずです。 共同体の崩壊に対しても何らかのアクションはあってしかるべきです。
日本の人口減は國體の施策なのでしょうか? 他方での他の国の人口増・日本の土地の外国資本への売却・ 外国籍の流入、など、とても整合性がとられているとは思えません。
(実はこの点を Q&A フォームで投稿したのですが、残念ながら答えていただけなかったため、 これも休学に至る理由の一つとなった次第です。)
小生が「核を失った」と言うのはこういう現状を憂いているからで、 この惨状の子どもたちに「競わず・争わず」は不適切であるのは明らかです。
中森様を批判しているのではありません。 構造化し段階を経て誰もが誇りを持てる社会にするためにこそ國體史観は あるのではないですか?ということです。
落合先生・栗原様の論文の成果を継承する者に向けて、 再構築が必要ではないでしょうか。
霊言論は敷居が高すぎて小生ではその成果を享受しようにもできません。
栗原様の発する内容はそのままで良いと感じておりますが、他方、 できれば中森様(又は戦略思想研究所)で、概要・結論・構造化(見出しレベルの整理) ・図化、といった体で文章を読みやすくしていただければ、と思いました (ちょうど、みち誌巻頭言で天童氏が栗原様の一言一句を解説いただいていたように)。
文章には構造が付きものです。 科学論文が今の形態になっているのには、それなりの長い歴史的積み重ねがあります。 それは尊重してしかるべきと存じております。
本講座が時には科学をも否定される内容であることは承知しておりますが、 一方、科学(その成果の1つであるIT・インターネットも含め)に大きく依存している 箇所もあり、すくなくとも人類の英知である科学論文のフォーマットには 沿っていただいても良いのではないでしょうか。
少し話は飛びますが、今の社寺の衰退の1つの原因に庶民の心離れがあります。 その理由の1つとして、社寺の精神文化が一朝一夕には継承しがたい内容を持っており、 その大きなひとつに、結論を優先しないその姿勢にあるように思えてなりません。 (もう一つは、戦後の分離策らしいですがこれもD社の受け売りですのでここでは述べません。 ただ言えることは、見事に日本国民の精神は破壊された、ということです)。
ものごとには、I/F(インターフェース)と実装があるものです。
I/F を知るにはほんの数分でもその実装を知るには何日〜何週間〜時には数年 かかるものもあります。
一例が車の運転と車の製造との違いです。運転には慣れた人で一瞬、慣れない人でも 自動車学校でひと月ほどで済みますが、車の製造を一人で行うことはほぼ無理でしょう。
同様に、社寺の成果を末永く継承するに、それを「どう活かすか(使うか)」 と「それ自体をどう継承するか」は全く異なる作業のはずです。 後者のみで前者の存在は否定できません。
風猷縄学が、後者に重点を置くだけであるならば、 果たしてその水平展開が可能なのか、未熟な小生には疑問です (ここは軽く一蹴して下さることを希望しています)。
これは技術の表面を説いているのではありません。
人間活動全般における分業(集合知も含む)の必然です。
中森様がこの企画を実現させた労力には100%の賛辞を贈らせていただきます。
もともとは一般人が拝聴できるような内容ではないのですから。
小生、もう少し頭脳的・金銭的・時間的に余裕ができた段階で また参加をお許しいただければ幸いです。
風猷縄学の型示しと解説編の文字起こしを希望します。
また、それへの簡単なアクセスできる環境の提示もあると助かります。 例えば、 インターネットドライブ(google drive など)・ github 的なものを使った共有など。 過去の情報を検索するに、記憶と再度の動画・音声視聴では限界があるためです。
栗原様の「霊言学」も風猷縄学サイトで公開されていますが、 例えるなら、いきなり大学博士課程の印象でした。
「霊言」を通じて時空情報を得る -- ここに霊言学の核心があると感じたのですが、 小生には全く歯が立ちませんでした…。
ここは、中間段階(例えるなら小・中・高・大学学部)が欲しいところです。
数段に渡った霊言就学コースなどあると良いのでは、と思いました。
洞察もせず教えを乞うばかりの者は破門、 と栗原様からは一喝されるかもしれませんが、 中森様からはご理解いただけると思っております。
田中英道氏への「エリートだから」と言う評論は外れていると思います。
なぜならば、田中氏は歴史学会からは異端の人であり、 氏の歴史観は決してエリート的押し付けではなく、 氏独自の視点から構築されたものです。
この点から見るならば、落合史観との自由闊達な議論の応酬も可能であり、 それでこその歴史学の科学的発展ではないでしょうか。
傾聴に値する洞察も提出されており、それを國體史観から裏付け・又は否定 いずれにしても大事な意見交流だと小生は考えています。 例えば、最近ですと古代天皇の寿命が長い理由に、 当時の風習として(今の)1年で2歳カウントしていたのでは? と言う説を唱えられています。 (現状、風猷縄学初講での聴講生からのこの種の質問に対し、 まだ決着は着いていない、というのが小生の理解です。科学的発展を望む次第です。)
興味深い内容です。
肯定・否定いずれにしても、科学的裏付けを持った中森氏主催「國體史年表」 を構築されることを切に望みます。
落合先生の最新作(國體志士〜)は読み応えありました。
小生、自己投資年間予算の範囲内で恐縮ですが、支援させていただこうと 心を新たにした次第です。最近の note でも若干ながらサポートさせていただきました。
その時、1つの質問をさせていただいたのですが、 方向性として違和感ないお返事を頂いた次第です。