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ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏の 発言内容は常に気になっていた(参考にしようとしてきた)のだけれど、 最近は、彼の発言も常に正しい訳ではないと思うようになってきた。
その発端は増田悦佐氏のクルーグマン氏への批判(内容は失念)。
ただ、増田氏自身の最近の極端な以下のような発言:
…があり、これもまたあまり賛同できないのであった。
そんな腑に落ちない経済学者間の見解の相違に悶々としていた所、 一つの方向性を見いだせる発言があった:
僕は竹中氏のこの感想と同じ地点にいる:
私自身はこの問題をどう考えるかというと、健全なミドルクラスを分解させてはな らないというクルーグマンの信条には惹かれる。一方、上述の通り、クルーグマン の説明には無理を感じており、経済格差がもたらす社会・政治的な変化の事実認識 の点ではコーエンの見解の方が説得力があると思う。