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[-] 1. (2014/10/) 竹中正治 経済格差拡大の果ての社会は、大衆の反逆か? 保守的なネオ階級社会か?

ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏の 発言内容は常に気になっていた(参考にしようとしてきた)のだけれど、 最近は、彼の発言も常に正しい訳ではないと思うようになってきた。

その発端は増田悦佐氏のクルーグマン氏への批判(内容は失念)。

ただ、増田氏自身の最近の極端な以下のような発言:

…があり、これもまたあまり賛同できないのであった。

そんな腑に落ちない経済学者間の見解の相違に悶々としていた所、 一つの方向性を見いだせる発言があった:

僕は竹中氏のこの感想と同じ地点にいる:

私自身はこの問題をどう考えるかというと、健全なミドルクラスを分解させてはな
らないというクルーグマンの信条には惹かれる。一方、上述の通り、クルーグマン
の説明には無理を感じており、経済格差がもたらす社会・政治的な変化の事実認識
の点ではコーエンの見解の方が説得力があると思う。





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