聖方位



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[-] 1. はじめに

栗本慎一郎氏が名付けた「聖方位」。

古代ペルシャにおいて聖なる星(と考えられていた)シリウスの パワーを背後より受け前方に送り出す方角、つまり、 南北から西に20°傾いた方位となる。

古代都市ペルセポリスがこの方位に基づいて建設されている。

また、ゾロアスター教・ミトラ教がアジア全般に拡がる過程で、 各地で聖方位を意識した都市や王家の墓が作られていった。

そしてそれは日本にも伝搬している。

時系列に Google map を貼りつけてみた。

[-] 2. B.C.520年〜 ペルセポリス


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[-] 3. 5世紀初頭 応神陵


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栗本慎一郎氏の「全世界史」より、大阪は羽曳野市の応神陵古墳 が聖方位を持っていることを知る。

この傾き、偶然とは思えない。

ただ、この市に多く存在する他の古墳の傾きは様々だ (地図を拡大して、周辺を見て欲しい)。

なので、やはりこの古墳が20°傾いているのは偶然、と片付けられるだろうか?

やはりそうとは思えない。

風水に見るまでもなく、昔は今以上に方角には重きが置かれていた。

この角度が偶然、というよりは、意図してこの角度に王の墓を建てたわけだし、 他の古墳の向きも、意図したものがあるのではないか… 僕はそう思うのだった。


[-] 4. 427年〜 丸都城


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同じく、栗本慎一郎氏の「全世界史」には 高句麗の首都丸都城は都市全体が聖方位だったというのだけど、 今 Google map で見ると、よくわからないなぁ…。

[-] 5. 6世紀? 鹿島神宮


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栗本氏によれば、蘇我氏は扶桑国の都市を鹿島神宮を中心として 作った、というのだけど、僕には初耳の内容なのだった。

事実集めはぼちぼちやるしかないのだけど、 どなたかご存じの方おられましたら、ぜいご一報下さいm(__)m

「鹿島灘が偶然南北から西に偶然20°傾いているから、その地形に沿った 神宮もその方向なのは偶然では?」と思う方もおられるかもしれない。

けれど、(栗本氏も言うように)僕は逆だと思う。

聖なる方向をこの鹿島灘に見つけ、そこに都市を作ったのだ。

宗教都市とは、そうやって作っていくものだろう。

[-] 6. 755年〜926年 上京龍泉府(渤海 首都)


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写真のほうが分かりやすいかな。

参考 http://jiangmin.g.hatena.ne.jp/jiangmin-alt/20071008/p1

[-] 7. 松花江と黒竜江の合流点付近


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これも、写真のほうが分かりやすいかな。

参考 http://jiangmin.g.hatena.ne.jp/jiangmin-alt/20071008/p1






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