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陰陽神社、「いんようじんじゃ」と読むようです。 「おんみょうじんじゃ」と誤読してました。。
場所はこちら: 〒319-3111 茨城県常陸大宮市山方4927
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陰陽神社の存在を知ったのは、 落合先生のサイト からでした。
この特異な狛犬は「貔貅(ひきゅう)」と呼ぶようで、 落合先生曰く、古代、雪豹(ユキヒョウ)から着想を得たのでは、と 先生のサイトには書かれています。
さて、陰陽神社、なぜわざわざ光圀公が創建されたか。
落合先生のサブページ に、
> 巨石文明に薀蓄のあった義公が重視したのは、「この巨岩が縄文時代の崇拝対象だった > こと」である。義公・芭蕉・アインシュタイン・石原純を結ぶ共通要素こそ、実は「縄 > 文文化」なのである
と結ばれています。誠に含蓄の深い一文だと思います。
國體(日本人の根っこ)を生涯賭けて構築されてきた光圀公、 その代表的事業としてはもちろん大日本史や水戸学があるのですが、 その國體史構築の一貫として、古代日本からの精神の1つである巨石文明を 後世にも残す意味で陰陽神社を建立されたのでは、と僕は思いました。
ではなぜ古代日本人は巨石を崇拝したか。
僕は以下に愚考してみました。
栗本慎一郎氏が引用されている渡辺豊和氏の著書に「縄文夢通信」 と言う本があり、その中で、縄文人は巨石を使って日本国内で互いに 通信をしていた、と言うのです。
かがり火を使ったのか、日中に反射鏡的なもので光で通信したのか、は分かりません。
ただ、まったく荒唐無稽な話ではありません。
古代ギリシャ時代、トロイ陥落の知らせはかがり火で行っていたそうです
万里の長城にの狼煙(のろし)の遺跡があるそうです。 この万里の長城が秦代(BC214年)なのか明代なのかは分かりませんでしたが。
時代はかなり下って江戸時代ですが、 旗を使った米相場の伝達の例があります
縄文時代はこれらよりはかなり古くなりますが、 道具や巨石はすでに当時から存在していたわけですから、 あながち「そんなものない」と否定はできないと思っています。
神社と光圀公への祈りを込めて参拝させていただいたのは言うまでもありません (2021/12/11)。