最近の更新 | |
---|---|
ドライランのありがたみを改めて知る
| 2024/04/04 |
伊豆半島
| 2024/03/31 |
お出かけチェックリスト
| 2024/03/29 |
Ruby
| 2024/03/27 |
Kubernetes
| 2024/03/22 |
音楽データをDisplayAudioで聞く
| 2024/03/09 |
Redmine
| 2024/02/05 |
git
| 2024/02/02 |
経済
| 2024/01/08 |
どうする家康
| 2023/12/17 |
MX-Linux
| 2023/11/06 |
國體関連学-休学のご連絡
| 2023/08/13 |
Debian
| 2023/08/02 |
CentOS
| 2023/06/13 |
Dell-XPS13
| 2023/05/23 |
ベルト
| 2023/05/18 |
SourceForge
| 2023/04/17 |
確定申告
| 2023/02/19 |
さらば「まぐまぐ」
| 2023/01/09 |
風猷縄学
| 2022/11/23 |
一番好きな俳優ロビン・ウィリアムズの「いまを生きる」を何十年ぶりかに観た。
ラストを知っているだけに、映画の冒頭で少年たちが登場してくるだけで 目が熱くなってしまうのは年老いた証拠か。
ただ、初老になった僕の今の感想は、初見の学生の頃とは少しだけ異なっていた。
名作であることに変わりはない。
でも、ひとこと言いたいのだ。
ニール君、君は◯ななくてよかった。頑固な父親のロボットである必要な無い。
芝居の道は優しくはない。惨めな将来の可能性は高い。 それでも、自分で決めた道だ。家を出ればよかったのだ。
そして、社会の厳しさも知った上で、父の言い分も1%は理解できる時が来るだろう。
その時、お互い許し会える可能性もあったのでは、と。
少なくとも、◯んでしまっては、可能性はゼロになってしまうのだから、と。