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2013/02/08 NHK BS歴史館 アテルイ(阿弖流為) ノート
アテルイの存在が気になっていた。けれども、なかなか情報もなかった。 なので、今日のこの番組は僕的にヒットだった。
降伏の前後
「日本後記」記録がない
アテルイ側のネット情報や山形明郷氏だったかの本だけ読んでいた僕だけど、 やはり偏っていた。遺跡の情報は重要だ。
第3次蝦夷出兵の前に、坂上田村麻呂は平和裏の融合を望み、蝦夷側住民も それを受け入れはじめていた、と見るのが妥当ではないだろうか。
しかし、そうなると今まで先頭に立って戦ってきたアテルイ・モレの立場こそが 危うくなる。
蝦夷側が彼らを裏切ったわけではない。
戦争の負けた側として、リーダーとして・男としてのけじめをつけたのだ。
彼らの2名の処刑だけで済んだ、と捉えるのが公平な見方ではないだろうか。