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M.ポランニーとの出会いは、栗本慎一郎氏が彼を「真の天才」と 評していたところからだった。
16歳だった頃、栗本氏の「パンツをはいたサル」と出会い、 氏の他の本にも傾倒していた時期だった。
社会人になって、氏の主催する「自由学校」に入学させてもらい、 半年ほど様々な著名な方からの講義を聴く機会があった。 (その後は、出席せず、自然と退学になってしまいました。 不良学生で、すみませんでしたm(__)m)
暗黙知の次元は、薄い本であるにも関わらず固い内容であり、 読んだ当初は、正直、なぜ栗本氏がこれほどまでに M.ポランにーを 絶賛するのか、よく分からなかった。
ただ、M.ポランニーの主張する「暗黙知」が、歴史・社会・科学・宇宙論・身体論、 等々を包括する、非常に幅広い問題提起をしていることが分かってきた。 また、20世紀の科学の危機をその本質で捉えようとしている(と僕は思っているのだが) M.ポランニーの立場は、僕を魅了した。
こうして、徐々に理解を深める形で、僕と「暗黙知」との付き合いがはじまったのであった。
日記、つぶやき、ブログ、メモ、徒然なる思い、思想、論文、…
これらを入力するのに様々なツールを使ってきたのだが、 内容の一覧性、いつでもどこでも入力できること、 入力の容易さ、などでどのツールにも不満が残っていた。
そこで juli を作ったのだったが、それでようやくにして ある程度満足できたので、暗黙知についても僕なりの考えをまとめていこうか、 という段階になった。
ま、こういうのは本末転倒の類であるのはわかっていた(手段が目的化する)。 「つべこべ言わず、あれこれ悩まず、まずは重要なこと(暗黙知の自分なりのまとめ) を既存のツール(OS, ワープロ、ブログ、etc.)でやるべきでは?」、と。
まぁ、いいではないですか。 社会人として日々の仕事に忙殺される中、オープンソースにも興味を持ったり して、その時々の優先度は変わらざるを得なかった、とだけ述べておきたい。
余談はこれくらいにして、本題に入りたい。
佐藤氏邦訳版「暗黙知の次元」には、訳者あとがきに、以下の宿題が挙げられている:
以下、僕の知の総括としての暗黙知の理解に沿って、僕なりの回答を記しておきたい。
暗黙知の説から、ポラニーは科学において非言語的・包括的な認識が 重要であると説いた。彼は直観という言葉を使ってはいないが、 暗黙知と直観との類似点と相違点は何か。
M.ポラにーは晩年、直観を重要視していた。 (資料 TBD)
そのことを考えると、暗黙知と直観は近い関係にある。
暗黙知 = 層の理論、とするならば、暗黙知は宇宙全体の構造を指している。
これに対し、直観とは、この暗黙知の「ポテンシャル」に満ちた宇宙の中における 主体の能動的な「コミット(傾倒)」を指している、と両者を位置づけることができる。
暗黙知の説は、科学が言語的・分析的・合理的な認識にもとづくという 従来の通説を批判し、非言語的な認識の重要性を強調しているが、 その妥当性はどうか。
言語とは、あくまで論理(= 結果)に過ぎない。
論理の「理解」という能動的・脳科学的・主体的・身体的活動は、 「言語」という論理を体に染み込ませる(=内包する)過程なのだ。
今まで科学の目的は、主観を排した客観的な知を確立することにあると されてきたが、ポラにーはこれを批判し、主体的な関与を強調する。 この点はどう考えたらいいのか。
一言で言えば、
となる。
結果としての科学が客観的なのは、この広大な世界=客観を論理で記述するのだから、 客観的であることは必要条件だ。
しかし、そのことと科学を作る主体は別物だ。
モノづくりの主体と作ったモノが別なのと同じだ。
創発という概念によって、還元主義を批判し、そのような視点から機械、 生物、人間、そして社会までもとらえようとしているが、その妥当性はどうか。 また近代進化論をこの創発の立場におとづいて批判しており、 その当否も問題となるだろう。
この世の全ては還元できない。これは、ちょうど M.ポラニーと同世代だった ゲーデルの不完全性定理で完璧に証明されたので、これ以上の蛇足を ここに書く必要はないと思う。
では、いかなる原理によって創発は起こるのか?
目の前で、移動する電車。
目の前で細胞分裂を起こしている受精卵。
どちらにも、1つの同じ原理がある。
TBD
マルクスの「自らを他のものとして…」との関係を記述。TBD
TBD
暗黙知は、ほかの生物や機械に見られぬ人間固有の能力か。
暗黙知を「層の理論」と同義と捉えるなら、 暗黙知は宇宙を包括する1つの理論であるのだから、必然的に その中に含まれる生物や機械にもあてはまるものだ。
以下、もう少し詳細に述べる。 TBD
科学論の問題としては、クーンの「パラダイム論」との関係、 ポパーの説との関係などが重要な問題となるが、 ポラニーが今日ほとんど顧みられていない実在論の立場から解決を試みている ことも注目され、パラダイム論に関して是非とも考慮されるべき問題である。
TBD
ポラニーの階層の概念はさらに厳密な検討が望まれ、とくに社会への その適用については、マルクスやパーソンズによる社会構造の把握などとも 関連させて検討されてよいであろう。
TBD