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読書ノート
帯の「面白いの一言に尽きる」にひかれてつい買ったが、確かに面白かった。
僕はこの本を読むまで、以下のような点が分かっていなかった:
そして、この本のおかげで、ある程度、イメージがつかめたと思う。
また、読後感として
血で血を洗う、とはこのことか
とは思った。
確かに、ヨーロッパ中世や中国ほどではない。 都市を城壁で守り、平民を農奴として扱い、 都市市民として戦うか(=死ぬか生き残るか)農奴になるかという 選択肢かなかったヨーロッパと、城壁のない平安京の都の違いは大きい。
しかし、日本が当時ユートピアだったとはもちろん言えない。 ただ、日本を自虐する必要もない。ここは、高山正之氏や増田悦佐氏の本を 読むと眼からウロコだ。
しかし…。ここでまた戻るのだが、武士としての厳しい生き方を歩んできた 源氏七代の歴史は、この本で活き活きと描かれていた。
僕は、架空戦記やタイムスリップものには興味ない。 事実を活写してくれればいいのだ。
そして、この本はそれを与えてくれたのだった。
「逆説の日本史」の井沢元彦氏に学んだことだが、
歴史を結果から見てはならない
ことはとても重要だ。歴史がつまらない暗記物だった僕の小・中学時代と 同じ轍を子供が踏まないよう、今から気をつけておきたいのだ。
そして、この本の著者、元木泰雄氏も同じ事を言われる。
「平安時代、忌み嫌われていた身分の低い武士達が源氏の下に東国武士を組織し、 奢った貴族である平家をついに滅ぼし、独立国『鎌倉幕府』を樹立する」
…こういった僕の単純な見方は誤っている、と元木氏は指摘する。
そうではなかったのだ。源氏はもともと清和天皇の子孫なのだから。
しかし他方、氏は、昨今(2011年)、武士と朝廷を同一視する風潮にも警告を 発している。こちらについては僕はよく分からないのだが、 ただ、この本を一読すると、両極端のどちらも間違いであることが分かってくる。
氏は言う:
王朝権威と自力救済の間で、河内源氏以下の武士は揺れ動いていたのである。 p.iv
どう揺れていたのか。どう苦悩していたのか。いや、どう生き抜いてきたのか。 なぜ父や兄弟を殺戮せざるをえないのか…。
この生々しい源氏達の姿を歴史資料から浮かび上がらせてくれたのが本書だった。
そう、源氏は義朝(頼朝の父)の代で壊滅したのだった。 平家は圧倒的な存在だった。 この時点で、鎌倉幕府が生まれるなどとは、誰が予想できただろうか。
しかし、滅んだはずの源氏に、20年後、まさかの勅令が舞い降りてくる…。
「よく分からん。ガンダムで説明してくれ」という面白い例え方があるので、 調子に乗って簡単ながら述べてみる。
頼朝がシャアなら、彼は幼少期に既に親(ダイクン)・親類を殺されたのだった。 殺したのはザビ。 後の信長が一向衆に対して行ったような・あるいは家康が豊臣家に対して 行ったような、根絶やしは幸いにして行われなかったが、地方(当時)である 伊豆にシャアは幼少期から幽閉されていたのだった。
(ガンダムとは異なり、元々、ザビ家のほうが 圧倒的存在であり、ダイクン家は5位どまりの幕僚長に過ぎなかった。)
以来、20年。シャアは、このまま安穏とブランデー片手に「坊やだからさ」と グチるまま老いさばらえていくしかない存在の筈だった。
だったのだが…
時のザビ家の横暴に耐えかねた王家から一通のメールが来ることから 彼の運命が変わっていくのだった。
(王家って誰?、というツッコミは無しです(苦笑))
…と言った展開でしょうか?
いや、かえってよく分からないのは承知です。 ちょっとした言葉遊びだった、ということで、この節は終了。
武士を理解するキーワードは、軍事貴族。
源氏の血は天皇(清和天皇)にありながら、天皇の血筋としては 徐々に遠くならざるを得ない人たちだった。
なにしろ、天皇の系譜は万世一系。子供が何人も生まれれば、 そのうちの一人しか天皇を継承できない。世代が続けば、徐々に 遠ざかっていくしか無いのはグラフ理論的に(系譜的に)必然だ。
そんな中に平氏も源氏もいた。
かろうじて、5位にあったわけだから、貴族ではある。しかし、 既にずいぶんと1位〜4位からは遠くなっているのが源氏初代の源経基(つねもと)だった。
また、この時代、「貴族」と称しても、まだ軍事と一体化した強力な存在だったとのこと。 天皇もしかり、だ。
このような中央(京都)にいる軍事かつ5位の貴族でもある源氏がどのように 東国の武士たちと結束していったかは、本書に譲る。
僕にとってのこの本の「最大の注目点」は、第五章だった。
(義朝は合戦を何度も経験しているが、いずれも朝廷を恐れ、 どのような咎を受けるかと胸に応えて恐れていた。今日は 追討の宣旨を受け、敵に戦う心は何と清々しいことか) 『愚管抄』にみえる、保元の乱の出陣に際し、追討宣旨を受けた義朝の言葉である。 相手はこともあろうに父為義や弟たち。 それでも宣旨を受けて、王権のもとで戦うことを彼は喜んでいるのである。 逆にいえば、それまで賊徒となりかねない私合戦を彼は幾度となく 経験してきたことになる。 p.134
僕から見れば、まさにガクブル((((;゚Д゚)))) の世界なのだ。
平民・庶民の親子関係を想定してはならないのだろうか?
いや、いくら支配者層の人たちとは言え、生まれてから幼少期を経るころは 普通のかわいい赤ちゃんであり、親の愛を欲する普通の子供だったはずなのだ。
それが何をどう変遷すれば、親や弟を殺しに行くことを「清々しい」 と感じられるようになるのか…。
元木氏は続ける:
出撃命令を受けた義朝は、「日イダシタリケル紅(くれない)ノ扇ヲハラハラトツカイテ」 雄叫びを上げた。 …彼は初めて官軍として、宣旨を受けて出撃することの清々しさを述べたのであった。 しかし、立ち向かう相手は、…父や弟たち。骨肉の戦いに他ならない。 果たして本当に清々しかったのかどうか。 …その背景には複雑な思いがあった。
…として、その理由を述べていく。
詳細は本書に譲るとして、僕はここで、天皇家の内輪もめが藤原家・源氏・平氏を 巻き込んで、親兄弟よりも天皇直系のために親兄弟を殺すことを選ばざるを得ない 義朝の立場に驚愕するしかなかった。
いや、もちろん、天皇とは王であり、王の内輪もめとは国家の内乱だ。 古今東西、どの国でも起きていることではある。
しかし。
しかし、だ。
元木氏の筆の成せる技なのだろうか。史実の重みなのだろうか。 今、この年齢にしてはじめて、源氏の苦悩と狂気と欲を歴史の中に見ることができた。
僕は、何も源氏を悲劇のヒーローにするつもりではない。
彼らとて、私合戦で勢力を広げながら、いちゃもんを付けられて殺されるものあれば 黙認されるものあり、の世界なのだ。これもこの本を読んではじめて分かってきた。
時、折しもNHKで「平清盛」が放映されている。 源平合戦それ自体で既に大きな大河ドラマなのだが、そこに流れ込んでいく オセロの如き逆転に次ぐ逆転のドラマが源氏七代に渡って繰り返されていたのだった。
歴史への興味は尽きない。