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本を整理していたら、30年以上前に読んだ本が出てきた。
櫻木健古「大愚のすすめ」
本の整理の度に、本棚に残すか・ダンボールに置いておくか・ ブックオフに持っていくか篩にかけてきた。
引っ越しのたびに。
けど、常に手元に残してきた本。
長い通勤は、僕の格好の移動書斎だ(^^; 「30数年を経て読み返して、何か得るものがあるだろうか…。」 そう思って移動書斎にて読んだのだけど、改めて幾つか再確認できると共に、 1つの新境地を開きたい気も出てきたので、このページを書いている。
「大愚」という号は良寛自ら付けたものらしい。
これは卑下ではない。その深い理由を著者は記す。
…けれども、水上勉の「良寛」を読むと、良寛を100%尊敬はできなくなってしまう。
もちろん、僕の尊敬する人は皆、良寛を高く評価している。
しかし、水上氏はそこに一点の闇を刺し込む。
それは良寛の偉大な業績に比べればわずか 0.001%の闇に過ぎないのかもしれないけれど、 異才水上氏の突いたその闇を僕は拭い去ることが出来ない。
その闇とは、良寛が、 当時の飢饉によって売られていった娘たちの姿を見ていたはずだ、というものだ。
子どもと無心に遊び・寺にもこだわらず、漢詩や書にも通ずる良寛。
自ら大愚と名付け、名声や欲に囚われない良寛。
しかし、身売りされた娘たちへの思いに関しての良寛の考えなり行動を、 僕はついに知ることはなかった。…少なくとも、今の時点では。
もっと、彼女たちを救う道はなかったのだろうか。 良寛は何を思っただろうか。
社会の平和的発展を第一としたい僕としては、 水上氏の一突きは僕の良寛像に一つの影を持たせたのだった。
…話がそれてしまった(^^;)。
「大愚」のポジティブな面を書きたくて始めたのだったけど、 良寛へのひと刺しを述べることになってしまった…(苦笑)。
我が師、南郷師範は、悟りをこう説いた:
悟りとは平常心である -- 南郷継正
櫻木氏は、「悟り」をもっと身近な言葉で説明した:
とらわれがないから、平気で要られる。"平気"とは人間の精神状態のなかで、もっとも快い ものであるはずだ。宗教で"悟り"というと、気取った表現になってしまうが、くだいていえば、 この平気にたっすることにほかなるまい。 -- 大愚のすすめ, p.100
今回「大愚のすすめ」を読み返して、一番心に響いた箇所がここだった:
…『紫雲会』を主催する、橋本徹馬という先生がおられる。 …このテツマ老先生(ママ)が…つぎのようにさとしておられる。 「恨むなどは、もってのほか。『あきらめる』のでも、まだいけない。 こういうときは、『天に貸しができた』と思って、よろこばなくてはいけない。ウソでも いいから、よろこんでみなさい。 そうしてよろこんでいると、不思議なことに、『貸した』分にさらに利子のついたものが、 いつか、どこかから、回されてくる。…」 …"天の銀行"を相手にする気持で、生きたいものです。 -- 同上, p.123
味わい深く、また、実践したい言葉だ。
今、世界は再び紛争の危機にさらされている。
パレスチナvsイスラエル、ISIS(イスラム国)、ウクライナ紛争、 東アジアにおける反日、…。
いかに日本の文化が優れていようと、
いかに日本が「平和国家」と自称していようと、
いかに日本の中でのみ平和を享受していようと、
いかに我彼の間の比較で一喜一憂しようと、
いかに禅が優れていようと、
世界に平和をもたらさない限りは、「それでは駄目なのでは?」と思わざるを得ない。
「大愚」とは、心の持ちようの問題が主題だった。 これが、禅の根幹を支えている。 しかし、いくら人一人が長い修行を経て大愚として悟ることができたとしても、 世界を平和にできないのであれば、いったい何の悟りなのだろうか、 と今の僕は思わざるを得ないのだ。
…これは、櫻木氏への批判ではない。そうではなく、 氏の大愚の思想を継承し、どう世界平和へとつなげていくか、 の僕の課題なのだった。
(以下、草稿):
けれども、前節で問うたように、この大愚は今の乱世を正せていない、 という点で、僕は限界を感じているのだった。
しかし、だからと言って「平気」が無意味なのではない。 僕達は、「平気」と現代科学を融合しなければならない。
「悟り(=平常心=平気)」は、禅や弁証法では円環図やラセン図で示される:
日常 → 修行 → 悟り → 日常
十牛図がわかりやすい。
もちろん、最初の日常と最後の日常は異なる。 これは、円の中をぐるぐると回るだけのことを意味していない。
いかなる乱世においても「平気」の心で生きていける日常、 レベルアップした自己が再び現実社会に戻ること、を表している。
それは、大愚として、天と共に生きる自己を表してもいる。
であるなら、それは円環として表現するのではなく、 より高次の次元に人間が進化した、と捉えるべきではないだろうか。
弁証法ではそれを「ラセン的に進歩する」と表現するかも知れない。
しかし、僕は、暗黙知の層の理論に基づいて、それを「一つの次元を創出した」 と表現したい。
なぜなら、その新たな層は、それまでの層を否定するものではないからだ。
それまでの層の限界(=周縁)を前提に、より新しい大愚(=平気)と言う認識の出来る 世界観を構築した、と観るのだ。
この層は、まだ己の認識の再構築にとどまっていて、世界平和を実現できていない。
であるなら、 --層の理論に基づいて考えるなら-- 次は、 大愚の周縁に基づき、世界平和への層を構築していかなければならないのだ。
…ここまでは、暗黙知の理論を適用して、すぐに結論に至ることが出来る。
問題はここからで、「では、どうやって?」だ。
僕の世界認識の旅はまだ続く。
しかし、ヒントは得られた。以下に要約したい:
櫻木氏は、一所に自分を放り込むことを説かれる。
長島茂雄の「ポ○チンバット」論や坂田三吉や良寛を例に説かれる。
しかし、僕は思うのだ。
二世の犯罪にも書いたように、エリートでかつ世界的起業家の盛田氏にして、 このようなご子息が誕生したことの反動の重さを…。
一所、必ずしも善ならず。
大愚、必ずしも善ならず。
…凡人の僕はこう思うのだった。
「もし盛田氏が子育てにも精力を割いていたなら大ソニーは生まれなかった」 と言われるだろうか?
いや、焦土の中から大起業家に成長する父の背中を見て、 むしろ逆にお金の大切さを学んだのではないだろうか、と 僕は思うのだけど、それは結果論だろうか。
ソニー創業の精神は大変感銘深い。
焼け跡から立ち上がって、 当時の先端技術である真空管よりも トランジスタに将来を見出し、そこに邁進するソニー精神。
焼け跡のバラックで生活する服を持たない(持とうにも持てない)社員に、 作業着を貸与したソニー精神。
制服は縛るものではなく、 社員への福利厚生だったのだ(!)。
そんな盛田氏の精神の結果としての資産を、 ただ受け継いでしまったのだろうか…。
そうでなくては、不動産やF1にのめり込んだりはしない。 一度の大火傷でこりなかったのは、その精神の欠如だったのでは、 と思わざるを得ない。
もちろん、大ソニーの創業者の息子として皆は彼を幼少の頃からちやほやしてきたことだろう。
これが、これこそが、「地獄への道は善意の敷石で敷き詰められている」 のだと言えるのではないだろうか。
これは氏への批判ではなく、強烈な他山の石なのだった。
精神の継承、という大問題の。
歴史性の体験、という大命題の。