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[-] 1. 東アジア古代史

飯山一郎氏のサイト http://grnba.secret.jp/iiyama/ の 2012/11/03(土)① 飯山一郎の無料出版事業 の記事にて、 山形明郷氏の『卑弥呼は公孫氏』が無料公開された。

さっそく感謝の意を込めて氏の bbs サイト「放知技」 に投稿したところ、興味深いお返事を頂いたので、ここに再掲:

824:飯山一郎 : 2012/11/03 (Sat) 01:39:01 host:*.ocn.ne.jp

>>823

W殿には早々の応答を賜り、御礼を申し上げます。

さて、山形明郷の『卑弥呼の正体』と、今回の『卑弥呼は公孫氏』は、
三韓(馬韓、弁韓、辰韓)と、三国(百済、高句麗、新羅)が、従来の
定説にいう朝鮮半島南部ではなくて満州の地にあったことを、中国の
膨大な歴史文献を参照しながら証明しています。

また、『魏志倭人伝』が日本古代の事象を記した歴史書ではないこと
も証明しきっています。
したがって、卑弥呼の邪馬台国の所在地も日本列島ではなかったと
明確に述べています。
これは、「日本人の歴史観」と「常識」を根底から突き崩す大変な史観
だと言えましょう。

あとは、考古学的な裏付けを待つばかりです。
いや!すでに「百済国は満州にあった!」とする出土品は出ています。
http://grnba.com/iiyama/html/16kodaisi.html#RyoNei
しかし、従来からの「常識」が邪魔をして、日本人は「定説」を信じたまま
です。    

邪馬台国はどこにあったか? というテーマで、私は20年前、雑誌に
歴史論を書いて発表しました。URLを下に記します。ご笑読のほど。
http://grnba.com/iiyama/home/pcmail/yamataikoku.htm
以上。
飯山一郎拝

823:W : 2012/11/02 (Fri) 23:37:55 host:*.i-revonet.jp

山形明郷氏のご著書の公開、ありがとうございます。早速読ませて頂きます。

山形氏の「卑弥呼の正体」を読み、虚を突かれた思いで、そこから知見を広げたくて、
小林恵子女史の本や、億ウソ氏のサイト(http://www31.tok2.com/home2/okunouso/)を読んで
いる、歴史好きアマチュアの中年零細ヒラサラリーマンです(^_^;

私が氏の本に出会った時、山形氏は既に亡くなられていましたが、氏の名前をキーワードに
ネットをさまよっていたところ、飯山様のサイトに出会えた次第です。
飯山様のサイトも大変興味深いですね。毎日読まさせていただいています。

文献からだけでなく、考古学その他多元的に事実を重ねることで歴史の真実に迫りたい、
と言うのが私の思いです。その観点から色々な方の本を読んでいますが、なかなか私の力では
事実を積み上げるところまで至らないのが現実ではありますが…(^_^;

東アジア古代史を、思想や立場ではなく、事実を元に研究を積み重ねている場があれば
ぜひ知りたいところです。もしご存知でしたら、ご紹介いただければ幸いです。

取り急ぎご挨拶でした。

W

本当は、飯山氏に、氏なりの視点からの山形氏・億ウソ氏・小林女史の総括 を聞きたかったのだったが、それは無理だった(^_^;

とは言え、追加の情報をいただけて、僕としては満足している。

[-] 2. 2012/07/08 NHKスペシャル 知られざる大英博物館 日本 巨大古墳の謎

古墳時代の遺跡が、大英博物館に収められていたとのこと。 日英の合同調査が今年から始められる。

知らなかった。空白の世紀に何らかの事実が見つかると面白いのだが。

[-] 2.1. 芝山古墳

昭和3X年、宅地造成で破壊されている。

名前「芝」が気になる。芝 → シボ(錫伯・鮮卑)族?

[-] 2.2. 丸山古墳

  • 今では立ち入り禁止となっているが、ガウラントの調査の時代はまだ入れていた。
  • 日本でもっとも大きい石室。ガウラントは、天皇の墓と結論づけている。
  • 古墳時代最後のもの。
  • 中心にない石室の謎。
  • "日本化"
      • 日本製。
      • 日本独特の模様
    • 百済武寧王の墓との比較
      • タイル式。当時日本の墓よりも高度なものが伺える。
    • 日本の古墳は巨大な自然石で作られている。
      • 日本古来の信仰との融合?

[-] 2.3. 石舞台古墳

  • 蘇我馬子の墓が史実通りであるとするなら、 丸山古墳の次の進化の結果(石室のみへの単純化)がこうなった?
  • 前方後円墳の終焉。
  • 古墳時代の豪族連合国家から飛鳥時代の中央集権国家への遷移。

[-] 3. "抹殺された日本国号の由来" 読書メモ

ペンネーム 新丸礼治(2002から?)・奥の嘘道、本名 河本秀雄。 (http://www31.tok2.com/home2/okunouso/moksirok/timei2.html に載っている)。

面白かったので、メモを取りながら読んだ。 個人のサイトながら自費出版されようとしていたので、その情熱は本物だ。 どれだけ客観性があるのか(学会で受け入れられているか、 合理的・考古学的・他の説との整合性)、 判断するだけの力量は今の僕にはまだないが、ぼちぼちと進めていきたい。

  1. 一度氏にファンレターを送った。 単なる荒らしでないことを氏に伝えるため、自費出版物を購入し、 その上で、「考古学や他の研究者の結論との整合性・ 参考文献など紹介して欲しい」旨伝えたのだけれど、 「これは私のオリジナルで誰からの借用ではない」という、 ちょっと外れたお返事は残念だった。 ただ、氏は、自らの先(命)がないことに触れておられた。 昨年(2012年)の更新が最後になっている。 年賀をお送りしたのだけれど、返事はなかった。 お元気であることを祈るばかりだ。

以下、個人的にまだ分かってない箇所には ? を付けている。

[-] 3.1. オボ

  • 横浜市鶴見川沿い神鳥前川神社境内のオボ
  • 船橋市意富比神社
  • 意富子山 → 烏帽子山
  • 어버이(オボイ, "両親"、の意)
  • オモ("母"、の意)
  • ヤバイ → ヤマイ(邪馬臺。魏志倭人伝の正しい字。ヤマタイ(邪馬壹)は 日本で勝手に変えた字?)
  • オボイ(意富比) → 大日(オボ)羅(ラ) → 平
  • ウブラ(生田) →
  • 意富駕洛
    • オボ-加馬洛
    • 加馬 → 馬加

[-] 3.1.1. 河川

  • 姥川(相模川支流)
  • 滋賀県草津市 伯母川
  • 栃木県小山市 思井川
  • 静岡県 大井川
  • 愛知県豊川市 覚川
  • 千葉市花見川区 大日(おおひ)神社(神社名: 豊受神社)
  • 揖斐川
  • 大大 → 大ゝ → 太
  • 江戸川(太日川) ← 大ゝ日川 ← タタリ川/オボヒ川)
  • 隅田川 ← 大川

[-] 3.1.2. 海峡

  • 間宮海峡は日本以外(ロシア・中国等)ではタタール海峡
    • 多々(韃靼(タタール))

[-] 3.2. タタール

  • 漢字表記
    • 韃靼
    • 塔塔爾
  • 記紀住吉大社三神に登場する「筒男」の「ツツ」
  • 秩父の「チチ」
  • 茨城県土浦の「ツチ」
  • 古代の製鉄で使用する「たたら」
  • タタリの漢語: 「大大日」 → 高句麗語で「オオヒ」

[-] 3.2.1. 廿里

  • 廿里 → 十十里 → 「トドリ」
    • 著者は、新羅と推測。根拠は本書 p.36 に。

[-] 3.3. アムール

  • アムール → アムル → 阿夫利神社
  • アマル(余)
    • → アマオル(天降)
  • 弱水(ジャクスイ)
  • アムール河畔で最大の都市佳木斯(ジャムシ)
  • 茶臼
    • 子安
      • 性を扱った神社もこの関係?
    • 川越
      • 市内南町養寿院 銅鐘に「河肥」とある。
      • 「肥」にはコヤス(子安)の意味が込められている
    • 八王子 ← 八(ヤ)王(ウ)子(ス)
      • 子安町、子安神社がある
    • 地名隠蔽の証拠
      • 世田谷区奥沢神社
        • 昔は「朝鮮丸」と呼んでいた。
        • チャウスムロ
          • → 朝鮮丸
          • → 長者村

[-] 3.4. その他

  • 恐山 ← ロシア ウスリー川
  • 鳥取 ← タタリ
    • 大山 ← オボ山
    • 太田神社の多羅大明神
    • 朝鮮半島の多羅

[-] 3.5. 少数民族からの類推(p.44〜)

  • 赫哲(ホジェン) → 北条
  • ホジェン → 百済(ホジェン)?
  • シボ(錫伯・鮮卑)族
    • 千葉(チオ)
    • 千穂
    • 千代
      • 千代田区の由来は千代田城ではなく、さらに昔の千代田村に遡り、 それはシボに行き着く…
    • 中央(チウォ)
      • 田園都市線の中央林間
    • 市場(マーケットと関係ない地名の場合これが語源!)
    • 鮮卑(スンピ) → 住(スミ) p.106
      • この字の発音、シボとはかけ離れているが…?
      • 横浜市〜川崎市の鶴見川沿いの杉山神社が60数社集まっている理由
        • 住吉(スミ・ギ) + ヤマトの略称
          • 三井住友UFJ の例がわかりやすい
      • 神奈川県藤野町の石盾尾神社
        • 漢語読みとピンインで「シャク・シュンビ」→弱[水]・鮮卑
      • 松尾神社
        • 「スンビ」と読む?
      • 駿府(すんぶ)はスンビ?
        • 徳川家の「松平」は「seon-bei」
      • 相模原市 村冨神社
      • 忍びは「シノビ」?
      • スベ・スメ + 邑の意である羅「ラ」 = スメラ
      • スメラ・イ → サムライ?
  • ツング[ース]
    • 東胡(トンフゥ) → 高句麗語でトゥコ ?
    • 記紀の、天之常(とこ)立神、国之常(とこ)立神
  • ナナイ族
    • ナナイ、と聞いて石川県の七尾を連想するのは僕だけだろうか。
      • Wikipedia によると、全国でも珍しい高句麗式の石室をもつ須曽蝦夷穴古墳がある 、とのこと。
  • エベンキ族
    • 朝鮮半島に南下して濊(わい)族となり九州の倭となる?
    • イベンキ → 茨城・茨木?
  • 拓跋(タァバ)
    • 多摩?
    • 飛不動はタバ不動?
    • 飛鳥は「タバ(飛ぶ)」+タタールの鳥

[-] 3.6. 倭奴

倭奴(weano)

  • → 上野
  • → 江戸
  • → アイヌ

[-] 3.7. 国津神・天津神をどう読むか。

「津」はルでもある、という例を社員 5-1 に上げている。そうすると…

  • 国津神 → コクル神 → 高句麗?
    • 黒龍川の高句麗よみは「コクル」
  • 天津神 → アマル神 → アマール?

[-] 3.8. 稲荷

とうか、と読むとどうなるか。

  • 日野市とうかん森
  • 東京山手線田端 とうかん森神社
  • 品川区大井(オボイ)の東関森稲荷神社
  • 東武線富士見野 「オトウカ塚」
  • 目黒区 十日森稲荷神社
    • とうか恵比寿
      • → とうか意富子(オボシ)
    • 「十日」は当て字
  • 稲荷 → 十(トウ)二(ニ) → 一二
  • 「と」→「そ」(例: ソゴウデパートの十合)
    • 須賀神社
  • 自由が丘の「自由が」は、十家(じゅうが)から来ている。
    • 全国の「自由が」地名を参照
  • 蘇我・須賀・塚・堂ヶ島・城ヶ島
  • 武蔵村山のジュウガ池
    • 近くに稲荷窪がある
  • 葛西町
    • 表向き: 稲荷神社
    • ウラ面: 豊受(とうか)神社
  • 高句麗の王都「通化」を受け継いだ
  • 諏訪、蘇我?
    • p.217 上段

[-] 3.9. 桜蘭(ロウラン)

  • 桜蘭(ロウラン)
    • → 楽浪(漢語音: ルーラン)
    • → 柔然(拼音:ルーラン)
    • → 東京都西東京市住吉町の尉殿神社
    • → 埼玉県北浦和の重殿社

[-] 3.10. 倭五王

  • 「つ」と「る」
    • 「美しい」の意味を表す2つの発音
      • 美し(うつくし)
      • 麗し(うるわし)
    • 国津
      • くにつ
      • こくる (→ 高句麗)
    • オッコシ
    • 打越
    • 美し
  • 美女木
    • ウルムキ
    • ← ウルムチ
    • 荒川の対岸に内間木(うちまぎ)神社がある
    • 美女(ウルム)神社
    • 藤沢市打戻(うつもち)の宇都母知(うつもち)神社
  • 加須
    • 駕洛(カラ)と鮮卑(スンピ)の合名?
    • → 霞ヶ浦, 霞が関

[-] 3.11. 8章

  • ミトラ教 = 日本における密教
    • 天神の牛とヒンズー教の牛
  • スキタイ語で鹿は「sag」
    • 相模原のサガ
    • 八坂のサカ
    • 蘇我?
  • ミトラ教の動物
    • 雄鶏
    • 八咫烏
  • 珍島
    • 朝鮮半島南端の珍島と、九州の下記の島:
      • 六浦
      • 松浦
      • 門司(MODI)
  • 武蔵
    • 向原(ムクラ) → ム クラ → 武 蔵
  • 香取神社と氷川神社
    • 地図上の対立
  • 幕張
    • 江戸時代、馬加(マ クハリ)村、と呼ばれていた。
    • 後漢書夫餘国伝より:
      (扶余は)六つの家畜の名前を官名にしており、馬加・牛加・狗加などがある…
  • 津田沼の菊田神社
    • 元は「久久田」神社
      • → 「田」は「邑」で「羅」を意味する
        • → ククラ
        • → 高句麗?
  • 扶桑とは「夫余」国と「桑(クワ)→加(高句麗)」国の合名?
    • フクワ → フカ → 深
      • 深川
    • 宗像神社のある深田
      • → 夫 桑 羅(フ クワ ラ)?
  • 吉野ケ里の「ガリ」
    • 匈奴(ムネ(mune)・フン(hune))族
      • フィン(フン)ランド
      • フン族とケルト(Galy)族でハンガリー
      • 奥野氏は、紀元前3世紀に現れる騎馬民族を匈奴、3世紀に現れるポスト 匈奴族をフン族、としている。(p.230)
      • アッチラ王の死後、匈奴族は北魏を起こす?
        • ゴート族語でアッチラを atta と呼んでいた(文献 『フン族とアッチラ王の秘密』より)
        • → 漢字では熱田(アツタ)?
    • 軽井沢 ← ガリ + ザウ(蔵)
    • 吉野 + ガリ
      • → シンノ(匈奴の漢語音) + ガリ
      • 南紀 吉野にある吉野川と紀の川
        • → 吉野(チノ)、紀の(キノ)
        • → 匈奴(シノ)
      • 信濃
      • 茅野
  • 好太王 → スキタイ王?
    • 小林恵子『広開土王と倭の五王』より: 「(好太王)土王は慕容氏族ということになっているが、本姓はそのルーツが パルチア(安息国、今のペルシャ)王に連なるといわれる安氏系の譜氏である。」
    • 住吉大神 → ス(住)キ(吉)タイ?
  • 太宰府 = 首都?
    • 万葉集「相模の国の防人の歌(巻二十-四三三一)
      天皇の遠の朝庭と しらぬい筑紫の国は 賊守る鎮への城ぞと聞し食す…
  • 氏子中
    • 船子中 → フン(匈奴)
    • ○○子、とは○○一族、の意。
      • → 氏子、とは、藤原(勿吉)一族、の意
  • ニギ
    • 物部の祖先ニギハヤヒのニギは「日吉(ニギ)」
    • 品川区大崎の居木(イルキ・ユルギ)神社
    • 天王洲の手前、品川の河口近くの寄木神社
    • 新日吉(ニニギ)
    • 日吉(イル-ギ)
      • 入谷(イリ-ヤ)
      • 日野(イル-ヤ)
    • アルタイ
      • → オロチ
      • 「ウリチ族」研究『シベリヤの民俗学』(大木伸一訳編・岩崎美術社)
      • 『ウリチ族』(ア・スモリャク著・一九六六年モスクワ)
  • オボからミトラ教へ
    • 物部(オボ教)・蘇我(ミトラ教)の戦い
  • ヨウゴウ
    • 川崎市宮前区の影向(ヨウゴウ)寺
    • 八王子市の例
      • 愛宕の周囲にある下記の町:
        • 横山
        • 大横町
        • 八日(ヨウカ)町
  • 三世紀まで優勢だったオボ信仰がミトラ教に譲っていく。
    • 大日如来
  • 地名の「免」はモンゴル ← 「免じる」から
    • その地は馬に関する場所が多い

[-] 3.12. 9章

  • 神田「明神」と「神明」と「日月」神社
    • 東京都秋津の日月神社
    • あきづ = 蜻蛉(トンボ)の関東地方の方言
  • 日月 → イル・ヨル(古訓より) → 要・割 → 要・害
    • 要害という地名。関東以北、特に宮城・秋田に多い。
    • 坂上田村麻呂の蝦夷征討の前線でイルウォル(日月)と呼ばれていた地を 「要害(ようがい)」にすり替えていった?
      • 田村は「」の新羅語音「タムル」から来た? (p.308)
  • 伊勢原市沼目の日月神社
    • 旧相模国大住郡
      • オボ・スム(意富比・鄒牟)
    • 海岸の高麗町
    • 平塚 → (大日(オボ)羅(ラ) + 稲荷(トウカ))
  • 「安芸」の源流
    • (広開?)土王の姓が「安」
    • 高句麗王の姓は当初「解」(ゲ)
    • 安解(アゲ) → 安芸(アゲ) → 安芸(アキ(日月))
  • 吉備 → 木日 → (モ・リー) → 毛利
  • 角の印欧語は sag
    • 鹿をシンボルとする応神
      • 佐賀
      • 鹿島神宮
        • 阿弖流為(アテルイ)の首像が置かれている
          • 「弖」は弓の第一人者、の意(元旦の旦が日の初めであるのと同じ)
          • 高句麗の「国字」
          • 広開土王碑
            …二カ所とも弖と読めるが、活字に直すときには氏(下に一)の字に変えられている
      • 相模
    • 鹿を神聖視する場所
      • 奈良公園
      • 宮島 厳島神社
      • 静岡 三島神社
      • 神奈川 大山 阿夫利神社
      • → スキタイ系?
  • p.216 「倭」とは、列島内にあったであろうクニだけのことではない。むしろ「倭は燕に属す」と言うように朝鮮半島南部と中国東北部の一部も含む
  • 邪馬台国
    • 正しくは邪馬臺(ヤバイ → ヤマイ)
    • ヤマイ → イマイ(エビスを Yebisu とするのと同意)
      • 千葉市 今井神社
        • 近くに蘇我神社
      • 高句麗が邪馬臺(ヤマイ・イマイ)を支配下に置いた、とのこと。(p.217上段)
        • 「千葉市の遺跡状況では、殺戮による戦の跡は見られない」
          • → 具体的に、どう判断できるのだろうか?
        • 蘇我と邪馬壱が、平和的に共存していた
        • 今井が残った理由を、著者(奥野氏)はそう推測している。
      • 市ノ坪神社
        • ツボ・トゥブ → 拓跋(タァバ)?
      • 宮前区の馬絹神社(元は馬衣(ウマイ))
        • 今井神社と馬衣神社
    • 青梅(オバイ)
      • → ヤバイ
      • 青梅周辺
        • 蔵主(ゾウス → ジャウス)神社
        • 塩船(シボ・フン)観音
    • 拝島(バイ・シボ(シバ))
    • 八百比丘尼
      • ヤオビ・クニ → 意富比(オボイ)クニ?
  • 多氷(タ・クォリ → タケル)神社
  • 物部
    • 牛 + 勿吉 + 部
    • 勿吉の漢語音は「ウシ・ウジ」
      • → 伏見稲荷の「フシ」?
      • → フジ(富士山・藤原)
        • 富士山の周囲にある「府」
          • 甲府
          • 駿府
          • 富士山は応神天皇時代に勿吉(フジ)族によって名づけられた
      • 菟道稚郎子を先祖とする藤原 ← 勿吉(フジ)新(atta)
  • 豊前国風土記
    「……昔者(むかし)、新羅の国の神、自ら度り到来りてこの川原に住みき、
    すなはち名を鹿春(カハル)の神といひき……」
  • 高句麗本紀 始祖東明王伝
    吾が子孫をしてここに国を立たしめんとす。汝、其れこれを避けよ。
    東海の濱に地有り。號けて迦葉原(カハハラ)と曰う。
  • 任那
    • 古事記には出てこない
    • 三次 美波羅川
    • 三原 = 源 ?
    • 因島 = 任那(インナ)説
    • 冒頭の日本書紀の「百済から近い」という話と矛盾しないか? 全くの捏造?
  • 5世紀当初 東夷九国が争っていた(p.255下段)
    • 宋書倭国伝:
      武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅秦韓・慕韓・六国諸軍事安東大将軍倭王とす
  • アッチラは多くの妻を持っていたが死の直前、「きわめて美しいイルディコ」 という名の娘を妻にめとった
    • ヒルディコ → ヒビコ(卑弥呼)?
    • 山形氏の言う「ピミフ」説はどう思うか?
  • 古代福岡が、アッチラ王の遺児を迎えるために設けられたフン族Attaの前線基地「任那」であった
  • アッチラ王の第一の息子「オターケル」 → 御嶽
  • 『古代日本と渤海』上田正昭:
    • 三と五と七と十(の発音)が日本語と高句麗語は一致
      • 百済・新羅とは全く異なる
  • 三浦氏はミヅラ(ミトラ)から?
  • 三重の語源
    • ミトラ + 意富子(オボイ) → ミ + 重い → 三重
  • 和歌山県東西の牟婁郡は、好太王碑の「牟婁城」を指すか?
  • 総括
    1. 高句麗の「解(タケル)」が第一次ヤマト天孫族の邪馬壱簒奪(東征)
    2. 第二次ヤマト天孫族の征討が、Atta新羅の坂上田村麻呂による東国蝦夷征討
  • トウカの異字
    • 楫安・通化・集安
    • 高句麗最盛期の王都
  • ここが高句麗時代の「卒本・扶余」ではないか(p.276上段)
  • タケルの原郷とは、そう、中国少数民族の説明個所で最後に登場した ダフール族のことだった
    • 「打虎児」の漢音。高句麗語で「多勿」→ タケル?
  • 藤原不比等
    • 墓碑銘ある「多武岑」はタブール?
  • 日本
    • はるか海の彼方に理想の国家を、と夢見たタケル志士団の目指す地は、太陽が昇る東の彼方、「東夷」であった。 東夷。「とうい」、「とうい国」、「遠いクニ」、そうだ。東夷とは「遠い」の語源でもあったのだ。ダジャレではない。
  • 太宰府の古称 都府楼(トウロウ) → タフル王 → タフル族の王都?
  • 半在家 = ハンガリー
  • マジャール = 曲がる・混ざる・勝(マサル)?
    • 馬韓(マガル、朝鮮半島の地名)
  • 日木一る → 率いる ?
  • 神武を含む八代は欠史でもなければ、「日本国」の天皇でもない …そこには中央ユーラシアに端を発する「遠い日本」への憧憬と道程が綴られているのであろう
  • 日本書紀
    • 「東のほうに美しい国」の「東」は「日木」のこと。 しかもその国を原文では「六合」という字で表現している
    • 宋書順帝紀 「武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅秦韓・慕韓・六国諸軍事安東大将軍倭 王とす」とある。六国 = 六合
      • 高句麗が入っていないのは、高句麗が統括していたから

[-] 3.13. 地名の変遷、まとめ

氏は、チンギス・ハーン = ジンギス・カン、の例をあげ、 ことばの音節の変化がありうることを説く。

日本語の方言もそのようなものだろう。

数が多いので、まとめてみた。

語源 高句麗(現中国東北地方(旧満州)〜朝鮮半島)地域 日本での呼び名(**)
朝鮮(chows) 茶臼(chaws)
キル キツ・キチ・桐(キリ)・霧(キリ) ウルチ・オロチ
キルジュ 吉州(朝鮮半島) 橘樹(キツジュ) (タチバナ) 神奈川県橘樹郡
今の川崎市〜横浜市鶴見区辺り
木月(キツキ)
住吉(キチ・ジュの転訛→ジュ・キチ)
イルモ 日木 出雲(イズモ)・犬吠(イヌボウ)
チュガ・ツガ・スワ 諏訪・(横)須賀・稲荷(トゥカ)・十日(トウカ)・蘇我
アムール 余(アマル)・天理(アマ・リ)・ヤムル→ヤムトゥ→ヤマト?
ナガラ(勿) 長野・名古屋・長良
Xiwo(シヴォ) 塩(シオ)・市場(シバ)
weadoo 江戸・淀
ハン(匈奴の勿) 斑鳩のハン
turturhle(タタール・チチハル・タルタル・ダイダラ) 代田・鳥取・土浦・秩父
トンヘ 東海 利根・東海村
アルタイ 金・アリラン 有田・新田・新た
東湖(トコ) 徳興里(トコリ) オホートコ(オホーツク)・知床・ウラジオストク・所沢 記紀冒頭の「天之常立(トコタチ)神
ナホトカ 能登・直江津 地名の類似性。上の「トコ」とも関連
市杵島(いちきしま)・厳島(いつくしま)

(**)必ずしも現日本国内の地名に限らず、日本海周辺の地名を 今どう呼んでいるか、も含む。

[-] 3.14. 遣高麗・渤海使

7〜10世紀。遣唐使が15回だったのに対し、 遣高麗・渤海使は 39回も行われた事実は何を意味するか。

[-] 3.15. 四谷-日野-入谷 ライン

[-] 3.16. アムール→ヤムル→ヤマトゥ→ヤマト?

…「アムール」は「ヤムル」でもあり、その「ル」が前ページのように「トゥ」
に変わるとしたら、ずばり「ヤムトゥ」になる。そしてその「ヤムト」がヤマト
の語源だ、と確信している…

http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/new/0510roots.htm#amurutora の箇所。 まだ僕には理解できないので、疑問符付きで引用することにする。 氏は続ける:

記紀史観によってヤマトの語源「アムール」さえ歪曲してきたことに憤懣やるか
たないのである。自分で自分の祖先を葬らせれば、アムール族を「苔むすまで」
支配できる、というのが匈奴(百済ヤマト)の支配思想でもあったのだ。その
記紀史観によって「ヤマト」のルーツが抹殺されてきたことをどう思うか?

[-] 3.17. 旧唐書における日本観

自ら矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず

「態度がでかくて、言うことはホラばかり」?

要調査。

[-] 3.18. その他、氏の主張

http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/nimaru.htm より:

  • 「百済ヤマト、つまり日本の支配階層は匈奴(シノ)の残留軍だった、と確信を持っている。」
  • 「ヤマトタケル伝説とは「匈奴・フン族の倭奴国乗っ取り」に他ならないのだ。」
  • 「ヤマト」に殲滅され、地上から消された「邪馬壱(やまい)」の残党こそが「ヤバイ」である。魏志倭人伝に登場する「邪馬壱国」(古田武彦氏もまた邪馬タイではなくヤマ壱(イ)国説をとっている)が列島から消滅したのは「百済ヤマト」の「東征」によるものだ。

[-] 3.19. 平成天皇の御発言

「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記録されている事実に、韓国との縁を感じる」と発言した。

マスコミは無視したそうだ。。。

[-] 4. 産鉄族オオ氏

実証的にオオ氏の産鉄跡を丹念に追った本。 事実に即しているので信憑性は高い。

また、記紀が強く製鉄に関連していることを示していて興味深い。 やはり、権力とは力でありそれは古代においては「鉄」だったのだ。

(鉄がなぜ力なのか、はジャレド・ダイアモンド氏の「銃・病原菌・鉄」 に詳しいが、長い本(^^;なので結論だけ書こう。 それは、最高度の武器だったからだ。ことごとく青銅器文明は製鉄民に滅ぼされた。 古代においても、スペインの南米侵略においても。)

オオ氏は、太氏・多氏・大氏、とも書く。 オオ氏で有名なのは記紀の編纂をした太安万侶。 従四位下というかなり位の高い文官だった。

かつての関東の豪族だったオオ氏も滅亡されること無く、 大和朝廷の中で生きていたことになる。

(この、統合の力こそが日本の秘密なのではないだろうか)

上の章「抹殺された日本国号の由来" 読書メモ」によれば、 意富比(オボイ)・意富子(オボシ)・烏帽子(エボシ)もまたオオ氏からの派生らしい。 奥野嘘道氏の説、どこまでが本当でどこからが逸脱なのか、 なかなか難しい(横浜市緑区の「緑」はミトラから来た、というのだけど、 さすがにこれは逸脱ではないかと…^^; )。

[-] 5. NHK BS 歴史館 聖徳太子は実在しなかった?(だったか?) (2013/08/02)

(メモ。未整理)

[-] 5.1. 十七条の憲法

  • 十七条の憲法は、日本書紀にのみ記されている。
  • 日本書紀推古記全体に、文章の誤りが多い。
    • しかし、誤りには規則性がある:
      • 少事 -> 小事
      • 少魚 -> 小魚

[-] 5.2. 協力者

  • 奈良県橿原市
    • 曽我町曽我〜神社 馬子の代まで、推古天皇・聖徳太子・蘇我氏はよい関係であった
    • 蝦夷・入鹿は殺される
  • 大化の改新
    • 耕玉記
      • 「王のように振る舞った」
      • 逆賊
  • あまかしの丘の発掘。
    • わずか10坪程度。
  • 耕玉記の部分に一定の癖がある。
    • 後から書き足している。
    • 乙巳(いっし)の変
      • 蘇我氏を逆賊にする必要があった
  • 日本書紀 す俊記 勝利をもたらした英雄と記述されている。
  • 大阪市四天王寺 聖徳太子の絵。誰が書いたか?
    • ちょっと稚拙。でも、温かみがある。

[-] 6. 怨霊説の揺り戻し

井沢元彦氏の「逆説の日本史」。 歴史に興味を持たせてくれた格好の書のひとつなのだけど、 どうやら色々と条件付きで読む必要があるようだ。

以下は、僕が今の所、留意したいと思っている点:

[-] 7. 書きかけ・課題

自分にも検証できそうなことをとりあえず挙げておきたい。

[-] 8. リンク集・参考文献






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