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小飼弾氏をして「この年(2005?年)最高の本!」と言わしめた福岡伸一氏の 「生物と無生物のあいだ」。
気になっていた本だったのだが、やっと読むことができた。
面白かった。日常の仕事に疲れていた僕の心を鼓舞してくれる美しい本だった。 …なのだけど、どこか暗い影が挿しているのはなぜだろう。 それもここで触れてみたい。
氏の、京都大学博士→ロックフェラー大学→ハーバード大学→京大助教授→青山大学教授… という経歴に僕は参った。もう、これ以上はない、というほどの経歴の人じゃないか。 安心して読める、というものだ。
これまで全く無知だった分子生物学の分野の最先端の歴史も学べてよかった。 僕にとって化学といえば、高校(高専)での数種類程度の分子レベルの反応に 頭を悩ませていたレベルで終わっていた。 高分子が何で、DNA が何で、DNA からタンパク質がどう生成され、… という点は全くの無知だった。 その、ここ数十年の驚異的な発展史を世界レベルの学者から学べたのはよかった。
興味深かったのは、ポスドクという身分が奴隷扱いということ。 アカデミーの中も競争とお金という現実のプレッシャーが働いていること。
僕にとって「博士」・「学者」というのは天上人だった。 無限のあこがれと尊敬を持って仰ぎ見る人だった。 僕の頭では学者にはなれないことはわかってはいた。 だからこそのあこがれだった。 でも、学者の世界でもこのようにシビアな競争やお金の現実が待ち受けて いるというなら、やはり好きな道に進むのが正解だと改めて思う。
さて。
僕はこの本に「生物と無生物の境界領域についての心震えるような大発見」を 期待していた。 でも、この本の半分は「世界最高レベルの研究所の中でどう福岡氏達がプレッシャー を感じながら研究してきたか」という学者群像の書、という面が多かった。 ワトソンとクリックの DNA 論文の暗黒面も、興味深いスキャンダルだとは 思うけど、できれば別の本で読みたかったのだった。
ただ、なぜ福岡氏が、ライアルワトソン(ニューサイエンスの旗手ともてはやされ、 最後はペテン師の烙印を押され、孤独の中に亡くなった人物)を擁護しようとしたのか が少し分かったような気がした。
この残酷な言葉はたしかに真実で、それ以外の敗者の言葉は 言い訳に過ぎないのかもしれない。
でも。
福岡氏の実験結果はたしかにノーベル賞にはならない否定的結果だった。 しかし、だからといって氏の研究業績は全否定されるようなものではない。 むしろ、否定的結果を肯定的にすくい取れるもののはずだ。
この苦い経験をこそ次に活かせる、謙虚なポジティブ思考こそが大事なのだと思う。
僕のサイトの「可能性の哲学を目指して」という副題には、 そんな意味もこめているのだった。
氏は、「直感」に対して否定的だ:
「別の言葉でいえば、研究の質感といってもよい。 これは直感とかひらめきといったものとはまったく別の感覚である。 往々にして、発見や発明が、ひらめきやセレンディピティによって もたらされるようないい方があるが、私はその言説に必ずしも与(くみ)できない。 むしろ直感は研究の現場では負に作用する。 …形質転換物質についていえば、それは単純な構造しか持ちえない DNA であるはずがなく、複雑なタンパク質に違いないという思考こそが、 直感の悪しき産物であったのだ。」 p.56
そして、氏の直感への否定的見解は、こう結論づける:
「…確信は、直感やひらめきではなく、…リアリティに基づくものであった…。」p.56
氏は「大発見は、直感といった安直なものではなく、 実験によるリアリティに基づく確信にこそある」と言うのだ。
分からないでもない。
しかし、「暗黙知」を提唱した M.ポランニーが晩年、「直感」こそが大事だと 言ったことと、どう折り合いをつければよいだろうか?
福岡氏もM.ポランにーも自己の責任ある主張をしているのだから、 両者の見解を軽んじて良い訳はない。
僕は、
「二人の言う『直感』の対象がそもそも違うのだ」
と思う。
福岡氏の言う「直感」は、狭義の直感だ。日常的な意味での・ あるいは DNA説を否定した、「事実を見ない偏見」としての。 DNAの可能性を実験から見出していた O.エイブリーの確信は、 そこに実験というリアリティに基づく確信を持っていたのだ。 実験の手続きが厳密でない、という非難に晒されながら…。 それが、彼の「傾倒(自己投入・コミット)」なのだ。