高麗神社



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[-] 1. 序

埼玉県日高市の高麗神社。僕は、歴史的には「高句麗神社」が正しいと考えるので、 本文ではタイトルと引用を除き、高句麗神社と呼ぶことにする。


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[-] 2. 安吾 日本史

前から気になっていた高麗神社

意外と近いところだった。

僕は16・7歳の頃から安吾に傾倒していた。 ある日、立ち寄った神田の古本屋で「安吾 日本史」という本を見つけた。 この背表紙のタイトルにビビッと来た。 ISBN は ISBN-88594-156-3 なのだが、amazon で検索してもヒットしない。(:_;) そこで、同じ内容の本を上げてみた。

僕は川村湊氏のこのまえがきに惹かれ、思わず買ったのだった:

『奈良平安朝で中央政府が確立し、シラギ系だのコマ系だのというものは、すべて
 影を没したかに見えた。しかし実は歴史の裏面へ姿を隠しただけで、いわば地下
 へもぐった歴史の流れはなお脈々とつづくのだ。
 …すでに三韓系の政争やアツレキは藤原京のこのころから地下にくぐったことが分
 るが、日本地下史のモヤモヤは藤原京から奈良京へ平安京へと移り、やがて地下
 から身を起して再び歴史の表面へ現れたとき、毛虫が蝶になったように、まるで
 違ったものになっていた。それが源氏であり、平家であり、奥州の藤原氏であり、
 ひいては南北両朝の対立にも影響した。そのような地下史を辿りうるように私は
 思う。彼らが蝶になったとは日本人になったのだ。』

こうした"地下史"の発想は、私にはきわめて魅力的なものと感じられる。
…高麗神社の祭神は日本的な神谷仏教進行に完全に飲み込まれ転化することなく、
渡来神の起源をそのまま記憶しているのである。安吾はそこに、高麗氏系図に隠さ
れた秘密を見ようとしている。つまり、他の渡来人たちが地下にもぐり、蝶=日本人
に変わっていったのに対し、コマ村のコマ人たちは、コマ人という出自を強調する
ことによって、地下史のシラギ系やクダラ系との対立、アツレキから逃れていたと
いうのだ。高麗氏系図には三十三代目の多門坊行高の遺言として「我家者修験道也
以後子孫代々?有何事必勿為武士之行軍者不致者也堅戒卒」
とある。軍事に携わらず、修験として信仰に生きることが、コマ家としての存続を
図る道だったのであり、そのためにも高麗王・若光が記憶されていなければならな
かったのである。 

安吾日本史、「安吾日本史の可能性」の章、p.38〜p.40

安吾史観は網野史観に通じる、と僕は思っている。 これについてはまたいつか書いておきたい。

さて、 安吾新日本地理 高麗神社の祭の笛を今、改めて読むと、興味は尽きない。 ここには、以下の記述もある:

「天平宝字二年八月に帰化の新羅僧三十二人と尼二名と男十九人女二十一人を武蔵
国に移して新羅郡をおいた」という記事もある。
…「天平宝字五年春正月、美濃と武蔵二ヶ国の少年二十人ずつに新羅語を習わせた」
という記事もある。武蔵の国の新羅郡というのは明治二十九年に北足立郡に編入さ
れた新座郡のことだそうだ。

さて、確か岸田秀氏が指摘していたと思うのだが、新羅語を習わせた、ということは 当時の新羅語は日本語とは違う言語と推測できる。今の韓国語はこの古代新羅語を 源流とするのだろうか? それはさておき、古代高句麗語を習ったという記述はないそうで、ということは 古代高句麗語と日本語は極めて近かったのではないだろうか? というより、縄文期から数百年のスパンで何波にも別れて大陸の国難を逃れて 日本に移住してきた人たちの言葉が古代日本語として成立してきたと僕は思うのだけど、 そのうちの1つが高句麗語だったのではないだろうか。そして、新羅語は既に 学ぶ必要のあった違う言語だったのではないか、と考えている。

[-] 3. 高句麗神社探訪

フジTVへの抗議デモにまで発展したここ最近の一連の韓流のゴリ押し…。 僕自身もこういったゴリ押しは好きではないが、反面、 嫌韓の一面的・感情的な対応にも距離を持ちたい。 よく原文(嫌韓がことさらにぶち上げる2ch系掲示板の引用元)を読めば、 それほどでもないことを、さも「だからこいつらは…」的にいじめている件も多い と感じている。

分割統治で互いに近隣諸国いがみ合って喜ぶのはその上に乗っかろうとしている人達 だけだ。そんな意図に乗せられたくはないのだ。

韓国を旅行した人が「日本と似ている」とよく言う。

今の日本人の故郷の1つだと僕が推測している高句麗の今の地(朝鮮半島北部〜 アムール川周辺)もそうではないだろうか。 いつか旅行したいねぇ…。

そんな思いの中、今日(2012/06/02)、高句麗神社を訪れてみたのだった。 駐場が意外と広いことに驚いた。近年の韓国ブームで訪れる参拝客も多いのだろうか。

整備された参道が綺麗だ。

安吾の名前が見える。 連れがファンだった檀一雄も隣に。

山門

控えめに「句」の字が。遠慮しなくていいのに、ね。

側を流れる高麗川。安吾も絶賛していたけど、確かに今でも美しい川だ。

僕には安吾が論じたような詳細の歴史考察はできないけれど、 やはりこうやって実際に現場を訪れるのとそうでないのとでは 記憶に残る像(イメージ)の厚みが全然違う。

古墳時代から律令制に到る空白の日本史をもう少し知りたいものだ…。 世界を理解する旅はこれからも続くね…。







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